こんにちは、ごーやです。
同じ出来事が起きても、
Aさんにとっては「そんなに気にすることじゃない」と思えることが、Bさんにとっては不安で仕方ない。
そんなことが、日常の中にはたくさんあります。
たとえば、職場で挨拶をしたのに返事がなかったとき。
「聞こえなかったのかな」と、そのまま気にせず過ごせる人もいれば、
「もしかして嫌われてる?」
と、不安になる人もいます。
出来事は同じ。それなのに、なぜ感じることが違うのでしょうか。
それは、私たちが出来事そのものに反応しているのではなく、その出来事を自分なりに「解釈」しているからです。
つまり、
という流れがあります。
そして、この「解釈」の中には、これまで生きてきた中で身につけた思い込みや、
「こうするべき」「こうでなければならない」
という、自分なりのルールが隠れていることがあります。
もし今、生きづらさを感じているのなら。
目の前の出来事を変えようとするだけではなく「私はこの出来事をどう受け取ったんだろう?」と、一度、自分の心を掘ってみる。
すると、これまで当たり前すぎて気づかなかった自分の「解釈」が見えてくることがあります。
同じ出来事でも、見えている景色は違う
出来事は同じ。
でもその出来事をどう解釈したかによって、そのあとに生まれる感情は変わります。
たとえば、仕事でミスをしたとします。
ある人は、
「間違えた。次は気をつけよう」
と思うかもしれません。
でも別の人は、
「こんなミスをするなんて、私は仕事ができない」
「周りに迷惑をかけた」
「きっと呆れられた」
と考えるかもしれません。
同じ「ミスをした」という出来事でも、「次に活かせばいい」と解釈するのか、「ミスをする自分には価値がない」と解釈するのかで、そのあとの感情は大きく変わります。
前者なら、少し落ち込んでも切り替えられるかもしれない。
後者なら、恥ずかしさや不安、自責の気持ちを何時間も引きずるかもしれません。
だから、
「私は昔から気にしすぎる性格だから」
「打たれ弱いから仕方ない」
と思っていたことも、すべてが「性格」の問題とは限りません。
その出来事を、どんな色眼鏡を通して見ているのかが関係していることもあります。
私たちは自分なりの「色眼鏡」で出来事を見ている
私たちは、同じ世界をそのまま見ているようで、実はそれぞれ違う「色眼鏡」を通して見ています。
たとえば、
「失敗してはいけない」
「人に迷惑をかけてはいけない」
「ちゃんとしていなければならない」
という思い込みを持っていたとします。
すると、相手の返事が少し短いだけでも、
「嫌われたのかもしれない」
と感じやすくなる。
小さなミスをしただけでも、
「迷惑をかけてしまった」「ちゃんとできない私はダメだ」
と受け取ってしまう。
つまり、私たちは目の前の出来事だけを見ているのではなく、自分がこれまで身につけてきた価値観や思い込みを通して出来事を見ているということです。
そして、その解釈によって生まれた感情が、そのあとの行動にも影響します。
「嫌われたかもしれない」と不安になれば、必要以上に相手の機嫌をとるかもしれません。
「失敗してはいけない」と怖くなれば、新しいことに挑戦するのをやめるかもしれません。
「私が我慢するべき」と思えば、本当は嫌なのに「大丈夫です」と言ってしまうかもしれません。
ひとつの解釈が、
だからこそ、自分がどんな解釈をしやすいのかを知ることは、自分自身を知ることにもつながります。
「出来事→解釈→感情」は一瞬で起きている
ただ、
この流れは、本当に一瞬です。意識している人はほぼいないでしょう。
私たちは、何かが起きるたびに、
「さて、私はこの出来事をどう解釈しようかな」
と、いちいち考えているわけではありません。
相手の表情を見た瞬間に、「怒ってる?」
ミスをした瞬間に、「やってしまった。最悪」
返信が来ないと、「嫌われたかな」
というように、ほとんど無意識のうちに意味づけしています。
あまりにも一瞬なので、「出来事があったから、この感情になった」と思いやすい。出来事=感情になっています。
でも実際には、その間に、
があります。
だから、生きづらさを感じたときは、いつもなら一瞬で通り過ぎてしまうその部分を、少しだけゆっくり見てみる。
出来事をどう受け取ったのか。出来事と感情を分けてみる。切り離してみる。
すると、自分でも気づいていなかった解釈が見えてくることがあります。
その「解釈」はどこからやってきた?
そもそも解釈はどこからやってきたのでしょうk。
相手の返事が少しそっけなかっただけで、
と解釈してしまうのはなぜでしょうか。
私たちは、これまで生きてきた中でさまざまな経験をしています。
特に幼いころは、親や身近な大人が自分の世界の大部分を占めています。
その中で、
「怒られないようにしよう」
「嫌われないようにしよう」
「機嫌を損ねないようにしよう」
と、周りの顔色をうかがうことで自分を守ってきた人もいるかもしれません。
そうした経験を何度も繰り返しているうちに、
「人を怒らせてはいけない」
「自分が我慢すればうまくいく」
「いい子でいなければならない」
というルールが、自分の中に残っていくことがあります。
そして大人になった今も、そのルールを基準に目の前の出来事を解釈する。
相手が不機嫌そうに見えたら、「私が何かした?」
誰かに注意されたら、「嫌われた?」
頼みごとをされたら、「断ったら悪いよね」
と、無意識に考えてしまう。
なので「気にしすぎる性格」なのではなく、これまで自分が生きていく中で身につけてきた、自分を守るための方法がそうさせていることもあります。
私の経験談
私自身も長い間、「人に嫌われてはいけない」という思い込みを持っていました。
だから、不機嫌そうな人がいると、
「私、何かしたかな?」「もしかして怒ってる?」
と、すぐに自分と結びつけて考えてしまう。
そして、
「私がなんとかしないと」と思って機嫌をとったり、
嫌われないように、「私さえ我慢したらいい」と、自分の気持ちを後回しにすることもありました。
今振り返ると、その考え方には幼いころの経験も影響していたのだと思います。
私にとって父親は怖い存在でした。
何か歯向かえば叩かれたり、外に置いていかれたりしたことがあり、幼い私にとっては、「父親を怒らせないこと」が自分を守るために必要だったのだと思います。
だから、
「怒らせないようにしよう」「嫌われないようにしよう」「私が我慢すればいい」
ということを、人と関わるときの基準にしてきました。
そして私は、割と最近まで、「私は人間関係にあまり悩みがない」と思っていました。
でも、自分の心を掘っていく中で気づきました。
悩みがなかったのではなく、悩みにならないように、私が我慢したり、相手に合わせたりしていただけだったのかもしれない。
人間関係を壊さないために、自分の気持ちを後回しにする。
それがあまりにも当たり前になっていたので、自分でも「我慢している」と気づいていませんでした。
自分の思い込みというものは、それくらい自分にとって「普通」になっていることがあります。
まずは「出来事」と「感情」を分けてみる
もし今、
「なんだか生きづらいな」
「どうして私はいつもこんなに気にしてしまうんだろう」
と感じている人がいたら、まずやってみてほしいことがあります。
それは、
たとえば、
「職場の人に冷たい態度を取られて、嫌な気持ちになった」
で終わらせるのではなく、
感情:不安になった、悲しくなった
と、分けてみます。
すると、
「返事が短かったことと、不安になったことの間に何があったんだろう?」
と考える余白ができます。
そこで、
「嫌われたと思ったから不安になったんだ」
「相手が怒っている=私が何かしたと思っていたんだ」
と、自分が無意識にしていた解釈に気づくことがあります。
出来事 → 解釈 → 感情
普段は一瞬で通り過ぎてしまうこの流れを、あえてひとつずつ分けてみる。
それだけでも、自分がどんな色眼鏡を通して出来事を見ているのかが、少しずつ見えてきます。
まずは「気づくこと」から
これまで「出来事=感情」とくっついていたものを分けてみるだけでも、なにかしらの気づきになってきます。
そして、気づくことで対策や行動ができてきます。気づかなければ、自分がどんな考え方に苦しんでいるのかもわかりません。
私自身、心理や内観ノートをする前は、出来事と感情は一緒だと思っていました。
でも分けて考えてみることで、「あ、人の機嫌はとらないとと思い込んでたな」や「自分をよく見せたいって思ってるのか」と気づくことができてきました。それは、立ち止まらないとなかなか気づきにくいもの。
分けてみることで、これまで自分でも気づいていなかった「色眼鏡」が隠れているかもしれません。
そして、その色眼鏡に気づくことが、生きづらさを少しずつほどいていく最初の一歩になっていきます♪

